2017年4月20日
この数年は姉と二人で 両親の墓参りに明石に行くのが楽しみになっている。
たいていは1泊するが、帰りに京都など寄り道をする。
今年は私達が幼少期に育った、神戸三宮に宿をとった。
私達の家は三宮駅から歩いて2,3分の、大通りに面した分り易いところの筈だが、
ここだと思われる場所の前を通ってみたが、大きなビルに一括されていて、私達が育った土地は「ここ!」と指差しできなかった。
あきらめて、思い出せる範囲の近隣を姉と一緒にあるきまわった。
当時8歳と4歳の私達である。つたない思い出をたぐって日々の惣菜を買った三角市場にも寄ってみたが、
目当ての揚げ物屋さんは移転してしまったそうだ。
がっかりしながらも、翌日私の出生地の魚崎(うおざき)という土地を生まれて初めて訪ねた。
なにせ70年も前の事であるから、祖父達の家があったピンポイントの「ここ!」は分らないが、
そこは灘の酒蔵地帯で、沢の鶴、富久娘、剣菱、白鶴、白鷹、松竹梅、大関、数えたら もっともっとたくさんのブランドがずらりの灘の酒どころだったのだ。
菊正宗の酒造記念館によってみた。さすがに日本酒のふるさと。伝統の重さがそこかしこに。
「京都の伏見のお水はおとうふ作りに適してます。
お酒の水は硬水で、酒づくりには何と言うても灘は宮水にめぐまれました。
そして後ろに広がる播州平野では 酒米の山田錦の 今もその80%を作ってるんです。
それから「丹波杜氏」の蔵ごとに競い合ってきた〝技”が違います。
さらには大阪湾に面していたので、江戸の町にぎょうさん運ばれて、、、」要約すればこんな事だった。
日本一の酒自慢がやまない。
能書きはほどほどにして、お酒を買い込んだ。
晩年、母は日本酒が好きだった。確かにこれらの灘の銘柄を選んでいた記憶がある。
私はお酒に弱くて、ほぼ無関心。が味はワインやビールより好きだ。
たまに冷酒で御相伴するが、これからは何だかひいき銘柄ができてしまって、ちょっとうれしい。