2016年2月26日
知り合って50年経つ女友達。
こんなに長く付き合えるって思わなかった。
でも会う瞬間のイメージは18歳の私達。
銀座か澁谷で待ち合わせて、映画を見る。そのあと
近くの目についた所で、ランチする。
行き当たりばったりで近くのお店にはいってみるが、その時々当ったり当らなかったり。
2人共グルメではないし、まずい物を食べなくてはならなくても大丈夫。
やわではない、たくましい。
白髪頭を染め、それなりに、外見も気にする。
サイズの合わない服を買ってしまったり、パーティードレスが必要なら、お互い、洋服が行き来する。
会わなかったこの一カ月の出来事や(夫が白内障の手術をしたとか)、活動や(安保法制のことで、デモに行ったとか)、
思う事(誠意を尽くして接していたのに理解されなかった理不尽な事)、それに痛いところ(腰や足の)の長~いおしゃべり。
こうして安否確認の一日が暮れる。
2016年2月16日
写真の中央右女性が広岡浅子で左の紳士が成瀬仁蔵だそうです。
楽しみに見ているNHK朝ドラ「あさが来た」は史実を土台にして創作しているせいか、とても面白い。
見ているうちに、登場人物がしゃべっている事や状況に、
何やら思い当たる事が多々あって、調べてみた。
先週より登場している〝成沢泉″なる人物が、日本女子大学を作った「成瀬仁蔵」と言う事である。
〝成瀬先生″という呼び方は私の耳にかつてタコが出来るほど、聞いた名前である。
先年103才まで生きた叔母の最も敬愛する人物である。
明治43年生まれの叔母が日本女子大学をでている事は、ちょっと私も驚く事ではあるが、
私に「成瀬仁蔵」を語るときは、絶対動かない尊敬という強い強い思いが伝わってきていた。
叔母が何十回か〝成瀬先生″という言葉を繰り返す度に、私はうっとおしいような気分で、スルーしてたと思う。
幕末に生まれ、日本がまだ右も左も分らない明治の初期に、女子教育がどれ程大切な事かを感じ、
清貧の中で実践している「成瀬仁蔵」
そんな事を考えていたら叔母の声もどこからか聞こえ、身近に思えてきて、
100年、200年なんか前はついこの間の事、歴史がとても近くに感じられる。
2016年2月8日
麦わら手の暖かい感じのご飯茶碗です。
買ってまだ一度も使ってない時に縁を欠いてしまった、との事でした。
残念で、何とかご自分で金継してみようと、播与の金継セットを買い求めたそうです。
その話を聞いて
「とても難しい漆仕事の金継を、そのセットに付いている 1回の講習会でなんかで
出来っこない!!」そう思った。
おせっかいな気持ちでお茶碗預かってなおしてみましたが、
よくよく考えてみると、
ちゃんとお茶碗が直って使えるようになる事も 目的ではあるものの、
せっかくの大人の趣味のきっかけになったかもしれないのに、、、、。
その方のちょっとした遊び心の芽を摘んでしまったかも と、直しながら思う次第で。
結局、私が久し振りに金継仕事にドキドキして緊張して、
楽しんでしまったと 思う次第で・・・・困った。