2011年2月21日
昨年から「大江戸骨董市」をちょいちょいのぞいている。
相当な数のお店が出店しているので、
丁寧に見て回っていると、一日でまわりきれない。
今年はやっと少し店舗の特長が識別できてきて、
効率よく見れるようになってきた。
掘り出し物はないかと探すのは実に楽しい。
私は日常使える陶器ものを探すので、
いわゆる骨董品とは一線を画すが、
それでも古い時代の陶磁器は、見ていて飽きない。
昔の生活家具や道具、古布など、
見慣れたなつかしいものに出会える。
アンティックなブローチや指輪は、
デザインが現代物よりずっとステキ。
このアクセサリーを持ち主がどんな風にしていたのか・・・・
想像をふくらましていると、背後に怨念のようなものを感じて
恐ろしくなる時がある。
買う気にならないが、デザインを楽しんで一日歩き回る。
写真はくるみの針刺しを売っていた。
中にコーヒーの糟がはいっているそうな。
使ってみよう。
2011年2月21日
若い頃出合ったとてもお金持ちそうな年配のご婦人が(80歳近い?くらい)、「なんといっても、人は額縁ですよ!」そう言っていた事が心に残っている。
その時は可笑しくて面白い事を言う方だと思ったが、一理あると思うようになった。
要は──人は身なり、服装などの見た目がとても大事だ──と、その方は言ったのである。
身じまいのいいきれいなおばあちゃんにあこがれる。
白髪まじりの毛をきれいに整えてつやつやさせる。
洋服は季節ごとに2,3枚ほどあればいい。
仕立てのよい白かベージュのブラウスに、
しごく上等の目のつんだ明るいグレーかベージュのたっぷりとしたカーデガンを着る。
首元には大人しやかな、プラチナか金のネックレス。
こんなスタイルなら年中同じでもおかしくない。
私もそろそろ毛を染めずに、黒白まじりの頭でもいいかなという年齢だが、踏み切れないでいる
日常生活が大事なのである。
そして周りの人と目が合えばどんな時でも、ニコニコする。
こんな風なおばあちゃんになりたいと、若い頃は思っていた。
年をとるに従ってその人の内面が、表側に濃く現れてしまうのは本当だ。
私のたんすにはびっちり洋服が詰まっているのに、
今日もきれいな花柄のシャツをまた買ってしまう。
まだまだ生臭くて、言ってる事とやっている事は程遠い。
2011年2月14日
録画しておいた映画をとても楽しく見ていた。
干物を焼いているような香ばしい、いい匂いが鼻先をくすぐる。
「お隣でお魚でも焼いているのかしら?・・
さっきから、ずーっといい匂いがしてきてて・・・」
そのうち、ピチッ!パチッ!と小さな音が聞こえてくる。
何だろうと台所の方へ。
ガスレンジをのぞいて、あっと驚く。
「そうだ!!私ゆで玉子作っていたんだ!!!」
小さな片手鍋に水を張って玉子4個ゆでていたのを、
すっかり忘れて1時間以上経つ。
鍋のなかは茶色く黄身が飛び出て、
原型が破壊されきって薄気味悪い。
玉子のタンパク質がこげて匂いを発しているのに・・・・・・
私、お鍋の事が頭の片隅にもなかった。
後始末をしながら、心臓がざわめく。
私どうなっている? 恐怖となって、長い時間その事が頭からはなれない。
2011年2月7日
ちょっと自慢しちゃおう!(誰に?)
静かな時間が欲しくて、余り物で手仕事していたら、
こんなに沢山ステキな作品ができた。
もともと針仕事は大嫌いなはずの私が
制作意欲がモリモリ沸いたのはどうしてだろう。
でももう暖かくて、着て歩けない。
飽き性な私は、来年の冬も
このマフラー達を好きでいられるかなー・・・・・
そしてひどい肩こりと腱鞘炎、おまけがついてきて困っている。
2011年2月2日
2、3週間に一度ぐらいの割で、
自分で髪を染めている。
午前中陽の高い 明るいうちに染めて、
そのままお風呂に入って洗い流す。
朝風呂に入るなんて事は、少し罪悪感が伴うが、
それでもこんな事ができるようになってうれしい。
明るい陽の中で湯につかるのはまことに気持のよい事だ。
湯に浸っている間は、頭の中もシーンとなり
今の自分が整理できて、良い時間となる。
一ヶ月ほど前から時間の空いた午後は
捨てようと思った生地から気に入った柄を切り取って、
他のストールに縫い付けてみたり、
毛糸で刺繍してみたりと構想を練るのは楽しい。
結構手間のかかる事になるけど、私は嫌いじゃないみたいだ。
こんな手仕事をしながら、録画しておいた映画をみる。
今まで経験したことのない時間を試している。
今朝はコーヒーを切らしてしまって、一杯取りを飲んでみる。
思ったよりずっと美味しい!
今大事な事は自分を見ること。
ていねいに暮らすこと。
私の好きなこと したいことは、何なのだろう。