2010年6月18日
旅慣れしてない私は、ここのところ、
少し長い旅行に出かける準備が大変で、
こんな計画しなければよかったと強く思う。
たんすの引き出しの整理や、事務机の引き出しの整理。
台所のシンク下やレンジまわりの掃除。
冷蔵庫の古い食品の片付け。
万が一の時の、通帳の在りかや保険など内容が分かる書類の整理。
そうしてやっと、あれこれ持って行く物の荷造りをする。
そうするとそれを見ている娘から、
「毎日たいへんだねぇー!」とクールな一言を頂く。
クールというのは、ステキ!という意味ではない。
冷ややかという意味である。
その言葉に少々傷つきながらも、心の内で負け惜しみ。
“人生の整理になって、丁度いいのだー”
2010年6月17日
我が家でも、祖母の時代にその弟がブラジルへ移民して往きました。
現在もその子孫の方々が、ブラジルで暮らしています。
日本からみると地球のほぼ反対側にある国ブラジル。
現在そこに暮らす日系人は、何と150万人とも言われています。
日本以外に、これだけ多くの日本人の血を受け継ぐ人々が住む国は他にありません。
当時、移民を募る広告には“舞って楽しくそして留まる”=舞楽而留(ブラジル)という当て字を用いた国名が掲載されていたそうです。
日本での暮らしに別れを告げ新天地ブラジルに希望の光を求めて、
1908年(明治41年)、781名を乗せた笠戸丸(かさとまる)が神戸港を出港。
52日間の長い船旅を経てたどり着いたのが、
今日もなおブラジル最大のコーヒー積出港である“サントス”でした。
東洋から来た小柄な移民たちを見たブラジルの新聞記者は、
他国の移民とは全く異なる日本人の清潔さや礼儀正しさ、
そして大勢の日本人が立ち去った後にチリひとつ落とさぬ彼らの姿には、
大いに驚いたといいます。
実にブラジルへ渡ってきた日本人のうち、およそ8割の人々が
コーヒー栽培に従事したと言われています。
ブラジル・サンパウロ州では、6月18日を「日系人移民の日」としています。
現在、日本に輸入されているブラジルコーヒーは、
やわらかな口当たりの良質な豆が中心で、
主にブレンドのベースに使われています。
中でも最高級の格付けをされたブラジルコーヒーは「サントスNo.2」と呼ばれ、日本では積出港の名前にちなんで
“サントス”という愛称で親しまれています。
ブラジルでは収穫したコーヒーの実を広い場所に敷きつめて
天日乾燥させていますが、
コーヒーの果肉に含まれた糖分が増すことで生まれた美味しさが、
カップで飲む際の、ブラジルコーヒーならではの
深みとコクとして愛されています。
(コーヒーのある生活_UCC珈琲コラムより)
2010年6月15日
ジャマイカで生産されるコーヒーのなかでもハイクラスの格付けをされたブルーマウンテンNo.1、 No.2、No.3(No.1~3の格付けは基本的に粒の大きさで分けられます)、それに続く格付けのハイ・マウンテンといった、高品質な輸出向けコーヒー生豆だけが、他のコーヒー生産国では例をみない木製の「樽」に詰められ、コーヒーの王者の名にふさわしく威風堂々ジャマイカ・キングストンの港を出てゆきます。
古今東西、「樽」は世界中で特にお酒と深い関係をもちながら、人々の暮らしのなかで活用されてきました。
清酒の場合は、杉樽からかもし出される木香(きが)が調熟に不可欠なものとされ、単なる器としての機能を超えた重要な醸造具であるのは事実ですが、コーヒーの場合には、木が持っている匂いが、焙煎前の繊細な生豆に染みつかないよう、無臭にちかい木の樽が必要となってきます。そこで、硬質でありながらも弾力性に富み、湿気に耐え、細工しやすく“ほぼ無臭”という特徴を持つ北米産の「白樫(シロカシ)」が主に使われています。
何故ジャマイカではコーヒーの生豆を樽に詰めるようになったのかは定かではありません。
ジャマイカは世界指折りのラム酒の産地でもありました。
その昔からラム酒を樽詰めにしてイギリスへ輸送していた背景や、逆にイギリスから送られてくるスコッチ・ウィスキー。その空樽を利用し、そこにコーヒーを詰めてイギリスへ運搬していたというジャマイカ事情などから、コーヒー生豆を木樽に詰めることになった経緯を推察することが出来ます。
高い品質を約束されたブルーマウンテンの木樽は今も健在です。
(コーヒーのある生活_UCCコーヒーコラムより)
2010年6月3日
鬼子母神の手創り市でみかけた
コーヒー麻袋で作った紳士靴です。
実際にコーヒーが入っていた麻袋を使用しているそうです。
「次回は女性の靴も作ってみます」と
普段も靴職人の若い方の作品。
女性靴もきれいな色の革と組み合わせて、
夏のサンダルかなんかに仕上げたらステキになりそうです。
紳士靴は、柔らかい羊革で裏打ちされ、
とても丁寧なつくりで、好感がもてました。14,500円。