2008年12月25日
半年も前に辞めた会社の後任者から、
ある仕事内容について分らない事が出来たので
教えて欲しい・・と、メールで届いた。
私もその件について覚えていなかったが、
それなりに分る範囲の事を書いて返信した。
それまでにも時々、その後任者から質問があり、
その度に、ちょっと聞かれて、役に立ってうれしいような、
でも日常生活の中で忙しいタイミング等もあって、
文章に書くのが面倒くさいような、
そんな気持ちでいた。
しかし今回の問い合わせに関して、
後任者の彼からこんなメールが返ってきた。
まず私からの返信をもらった事へのお礼が丁寧に書いてあり、
『・・・・
しかし、私がメールで尋ねたことを
○○さんが知って、厳しくお叱りを受けました。
前と同じように間違いなくやるのが仕事ではなく、
どのようにすれば円滑に行えるか、
係わる人間が話し合って最善の策を取るのが仕事だ と。
自分なりに付加価値をつけていくのが仕事だと。
もう退職した人に聞くのなんて最後の非常手段でしょうと
私はミスを恐れるあまり、
極力前と同じ手続きを踏もうと思っていて
つい前任者に甘えてしまっていて申し訳ありません 』
以上、彼の文章を差支えの無い形にして引用させてもらった。
○○さん、とは会社をひっぱっている若きリーダーの事である。
仕事をやらされているのではない、
自主的、能動的に仕事をしている若い人達の職場であった事を思い、
30歳過ぎの若き彼らの頼もしさと、底力を再確認して、
その通りだ○○さんには、又教えられてしまった。
2008年12月24日
絶品の美味しいコーヒーを336,000円で買う。
(代金には、生豆10kg、1年間のお預かり保管料、焙煎料(20回分)、送料、オリジナルコーヒーメジャーカップの全てが含まれている。)
世界で一番高価なコーヒーではないでしょうか。
10kgの生豆は焙煎すると水分が飛んで20%位減るので、
8Kg位の出来上がりになります。とすると、550杯位飲めます。
高品質特別農園の限定場所に出来た完熟豆のみ、
焙煎したての美味いコーヒーが約1年間飲める。
㈱ミカフェートの川島良彰が求めた新しい品質基準に対して、
農園主側の理解と協力によって生まれた、Grand Cre Cafe(グランクリュカフェ)。
「最高の畑のコーヒー」という意味。
たとえ良質な豆を生産する農園でも、育つ場所によっては実る果実(豆)の品質に大きな差が生じます。
Grand Cru Cafe(グラン クリュ カフェ)は優れた農園の中でも栽培環境としてあらゆる好条件が備わっている限られたセクションを指定し、その中の一本一本を選別し、さらに、その収穫と精選過程においても可能な限りの厳しいスペックを課しています。
さて、貴方はこの価値をどうみますか。
2008年12月11日
一週間の内、半分は朝ゆっくり起きてゆっくりコーヒーを飲み、
何気にテレビなどつけて、新聞の広告を開いて一枚一枚丁寧に見る。
気持ちも安定していて、意味の無い変な不安感もない。
あー お薬飲むのを忘れていた、と水をくむ。
座って薬を出しながら“ありがとう!”と誰に言うでもなく、
心でつぶやいている。
薬にむかって言ってる訳ではない。
敢えて言うなら、この時間に対して、
こんなにゆっくり過ごせている空間に対して言っている。
少し寒いこの頃、朝8時半とか9時に自転車に乗って出かける。
空が真っ青で雲ひとつない。
どの家の玄関先にも、丹精した花や木々が気持ちよさそうに
日を浴びている。
私は防寒具を着ているので身体は温かいし、どこも痛いところがない。
ほほに少し冷たい風がすりぬける。
気持ちがいい!
こんな時天に向かって、「ありがとーう!」大きな声で叫びたくなる。
日常の中の幸せ・・
なんて、ここまでいい気で書いていたら
仕事先の方から携帯がなって、
「先日作ったファイルが何処にしまってあるのか分らないじゃない!」と
お叱りの電話を受けた。
幸せが吹き飛んでしまった。
2008年12月7日
長い間“ピカソ”について無関心であった。
「20世紀最大の天才芸術家」と評されていても
私にはさっぱりわからない。
どこが?すごいの?
一般の人が理解できない事に対して
一部の人が持て囃している。
そんな印象をずっと持っていた。
今東京六本木の、サントリー美術館と国立新美術館で同時に
“ピカソ”展が開かれている。
初めて目にした多くの絵画や彫刻の実物達。
生で見る事は、頭で思い描いていた事とまったく違っていた。
“ピカソ”の作品は圧巻で、どの絵もどの絵も色がすごい。
色のセンスは生まれつき備わった物で
磨いても変えられないとも言われているが、
なんというセンスだろう。
製作年順にたどっていくと、
成る程彼はこんな風に芸術を進化?させていったのか。
純粋な直観力や決断力の早さ。
物の本質を見抜く力。
溢れ出るアイデアや感性を、今描かずにいられない。
作製せずにはいられない。
多くのかかわった女性達も“ピカソ”の
創造性を刺激する対象であったであろう。
情熱が溢れ、その感性を直感的に作品にできる、
すごい力を持った人。
多くの実物を見てそんな事を感じ、私の“ピカソ”が変ってしまった。
大好き“ピカソ”!
もっともっと“ピカソ”の絵を見ていたい。
会場で飾られたそれぞれの時代の“ピカソ”の写真は、
身長160センチの眼光するどい青年。
91歳まで、情熱を持ち続けた人。
写真が私の記憶に残り、
2,3日、“ピカソ”熱にあてられてしまった。