2008年5月31日
ペーパードリップは豆のもつ個性をストレートに引き出す最も簡単な方法です。
立てることになれると、たてかたによる味や香りの違いもよくわかり、コーヒーの深くて楽しい世界にひきこまれます。
カップ1杯分(約140cc)あたり、10~12g程度です。
豆から挽く場合は「中細挽き」にしましょう。
「中細挽き」はグラニュー糖ぐらいの細かさです。
というように一般的にはこんな感じですが、使用量はお好みで加減します。
準備①
飲み頃の温度に抽出するために、ドリッパー、サーバーなどの抽出器具、カップ&ソーサーやスプーンなどは、あらかじめ温めておきます。
お湯は汲みたての水道水などを沸かしておきます。
お湯が沸騰したら火をとめ、一呼吸おきます。抽出に理想的な温度95℃前後でたてましょう。
100℃のお湯で、たてては美味しいコーヒーになりませんから、注意して。
準備②
ペーパーフィルターは底と側面のシール部分を、前後に、互い違いに、折り曲げ、ドリッパーに軽く押さえつけるようにぴったりとセットします。
そして、ペーパーフィルターの中心に立てる分量の中細挽きのコーヒーをいれます。
湯を注ぐ①・・・・必ず「蒸らす」
おいしいコーヒーをいれるために必ずやってほしいのが、「蒸らし」です。
初めにコーヒーに少量のお湯を、そっと乗せるように注ぎ、粉全体に均一にお湯を含ませてから、30秒ほどそのままにして蒸らします。
サーバーにポタポタとお湯が数滴落ちてくるのをめやすにしてください。
「蒸らし」の時に、コーヒーが膨らむのは、コーヒーに含まれるガスが放出されるため。
ガスを出すことで、コーヒーとお湯がなじみやすくなります。
「蒸らし」はコーヒーのおいしい成分を十分に引き出すための、大切な工程なのです。
湯を注ぐ②・・・・「の」の字を書く
湯は コーヒ粉の中心で小さく「の」の字を書くように注いでいきます。
このとき 静かに細くらせんを描いて優しく抽出します。
杯数分のコーヒーがサーバーにたまるまでお湯をゆっくりと注ぎます。
サーバーの杯数目盛を見ながら人数分がたまったら、ドリッパーをはずします。
ドリッパーに細かな泡とお湯が残っていてもこれは雑味のもとになるアクですから注ぎきってしまわないほうが美味しいはずです。
2008年5月25日
この5月に、仙台在住の友人宅を訪ねた。
元々は東京在住で 青森、仙台と移転したその友人の、観光案内上手には、ほとほと感心して、まことに気持ちのよい旅行をさせて貰った。
実にみどりが幾重にも重なって美しく、5月という季節にも感謝せざるを得ない程、さわやかな旅であった。
「おくの細道」の序文で「松島の月 先ず心にかかりて・・・」と記しているように、芭蕉の奥州への旅の最大関心地でもあった松島で、その絶景とともに、 私は生まれてはじめての、旬のホヤを味わった。
東京でも時々みかけるホヤは“なまこ”と共に、私の中では、グロテスクな食材として、なかなか受け入れる事ができなかった。
養殖生産の95%が三陸産らしい。調べてみると 心臓も肝臓もある動物だというのである。
やっぱり食するに抵抗がある。
せっかくだからこの旅の記念に、イメージのあまりよくなかったホヤにチャレンジしてみようと、別皿のホヤの酢の物をとってもらった。
写真がこのホヤの酢の物。
ヌメヌメつやつやのオレンジ色、なまめかしく、あやしい。
身をとりあげてみれば、赤貝や青柳程ではないが、ふっくらやわらかな弾力がある。口に含めば、何のことはない、淡い独特の香り、なんて表現すればよいのか。やさしい味である。
話に聞いていた、「強い金属っぽい磯の香り」と「強い苦み」ではなかった。
これって、新鮮だから?
覚悟して食べた私が拍子抜けしているので、友人は「八戸で食べてたのはもっと美味しかった。食感がもっと、こりこりしている」と言う。 これ、十分美味しいのに・・・
この年齢でやっと ホヤデビューして、ホヤへの恐怖がなくなったので、東京でも楽しみが広がった。 但し、新しいホヤに出会わないといけないらしい。
広窓からすばらしい松島湾を眺め、うまい料理をご馳走になり、
人生の中であと何回、こんな楽しい経験ができるのかな・・・・
閉めのコーヒーが実に芳しく美味しく、心に残る食事となりました。
2008年5月9日
4月のある日、会社で仕事中「一過性全健忘症」という不思議な病気にかかった。
私としては、病気にかかった意識もなく、一日何が起こったのか、今でも不思議でならない。
その一日は、まぎれもない事実で、それはもう、ショックで、自分の人生を振り返らざるを得ない、良いきっかけにはなったと思っている。
その日の5時半、仕事先の上司に「今日はちょっと変だから、早くお家に帰られた方がいいですよ」と声をかけられるまで、その日一日の記憶がまったく無いのである。
後で同僚にどんな風だったのか聞いてみたが、いつものように、請求書を封筒に入れたり してはいたが、ぼーっとして「私記憶が無くて変なの」と言ってとても落ち込んでいたらしい。
その日の会社帰りに緊急で、普段通っている病院で診てもらった事、翌日もう一度病院に行った事等、その後から今日までは、ずーと記憶はつながっていて、なんら以前と変わらないように思う。
こんな病名が付いている位だから、他にも同じ状態になった人達がいるようである。
調べてみると、原因ははっきり分っていないものの、こんな事が書いてある。
【一過性全健忘症とは、言われたこと、目で見たこと、触って感じたことなどをすべて一時的に忘れてしまう病気だ。普通、24時間以内に正常に戻るため「一過性」と呼ばれる。 自分が誰かとか、身近な人の名前、自分との関係などは分かっている。しかし、短期間記憶に障害が起こる。
例えば、銀行に大金を引き出しに行き、帰る途中でなぜ大金を持っているのか分からなくなる。「銀行に下ろしに行ったから」と説明を受けると了解する。ところが、すぐ「なぜ、こんなお金を持ってるのか」と同じことを質問してくる。
通常、数カ月から数年以上前の長期記憶には障害は起こらない。ろれつが回らなくなったり、手足にまひが起きたりすることもない。中高年に多く、繰り返し起こる人は5、6%以下と少なく、物忘れがずっと続く人はほとんどいない。 一過性全健忘症は、軽い脳卒中、てんかん、頭部外傷、精神的なショック、初期のアルツハイマー病など、いろいろな原因で起こる。
こうした何らかの原因により、脳の記憶に関係する「海馬」という部位を中心として、一時的に血流が悪くなったりして障害が起き、発症すると考えられている。
原因が判明したら、それに即した治療が行われるが、一般的には、すぐに良くなるので特別な治療は行われない。
「自分でも発作中は、何かおかしい」と感じる人が多い。】
そして、発作中の記憶はほぼ全部が欠落したままとなり、回復しないそうである。
普段我々が「記憶」と一括して呼んでいるものは、
その内容によって3つに分類され
1.エピソード記憶…時間や場所が一緒に残っている思い出の記憶。
2.手続き記憶…自転車に乗る、泳ぐなど体が覚えた技術の記憶。
3.意味記憶…人や物の存在や名前、常識などの記憶。
私は1のエピソード記憶が欠損したのである。