2008年2月25日
コーヒーの木は 2.3メートル程の高さのかん木でジャスミンの花に似た白い可愛い花をつけます
その白い花のあとに 丸い実をつけ 熟すと赤くなり その中に入っている種がコーヒーの原料となる生豆です 一般的にグリーンと呼ばれています
収穫されたコーヒーの赤い実は 水につけられたり 天日に干したりして うすくついている果肉をとりのぞかれ 中心の種だけにされます
種は 普通は 抱き合うように2個入っていますが 時には まるく1個になって入っているものもあり モカ等は 丸いものばかりを集めて “ピーベリー”と呼ばれ 珍重されたりもしています
コーヒーは農産物です
赤道を中心にして 北緯25度 南緯25度の限られた地帯でしか栽培できません その間を
コーヒーベルトと呼んでいますが しかも寒暖の差がある高地の方が 良い豆ができるそうです
何年か前にもありましたが ブルーマウンテンのできるキューバでも 夜間に 霜が降ってしまったりすると コーヒーの苗木が枯れて 収穫が見込めなくなります そうすると
「コーヒー相場がくずれてコーヒーの急激な値上がり」 というようなニュースを 時々新聞で見る事があるでしょう
そしてそのうえに まだ多くのコーヒー生産国は 内戦やテロがあって コーヒーの生産や流通が安定していません
だいぶ話がそれますが 世界がもっと平和であれば コーヒーを作っている地域の経済状況も向上して 貧困もなくなり 高品質の美味しいコーヒーも安定して作られるという事にもなると言う訳です
2008年2月20日
美術館の中でゴッホの自画像をみて泣いた事がある
油絵の具のきれいな水色でぬられた顔をじーとみていたら
涙がぽろぽろでて 自分でもびっくりした
それはその顔の 内なる孤独感が私に強く響いたからである
もちろん本物の絵が訴えかける 抜群の技術力のせいであるのだが
しかし以前に 司馬遼太郎の書いたゴッホについての記述を読んでいたから
その絵と相まって 強く感じた と言う事もあると思う
その時にもその文章に強く反応して涙した
ゴッホの生涯について他の人の書いたものを何度か読んでいて涙することはなかったが
その時に司馬遼太郎の筆の力はすごいと思ったものだ
人の気持ちを高揚させる絵や文学と同じように 音楽はもっとすごい
日常的に手軽に気持ちを明るくさせてくれる
停滞した気持ちの時に「イーグルス」を聞くととたんにやる気満々
元気が出てくるのである
私が20才のころ?イーグルス全盛期の頃は好きでも何でもなかったのに
60才の今「イーグルス」が私の心を高揚させる
不思議である 実にいい
「ホテルカリフォルニア」は刑務所のことであるし
「デスペラード」は孤独な ならず者の歌である
デスペラード、若さだけでは取り戻せない
いくら装い切望しても
おまえを狂わせるだけさ
そして、ああ真の自由を求め
誰かか噂するように
おまえは今、歩き続ける この世界をたった一人冬になっても 逃げ腰になるな
空は見えず 太陽がかがやかなくとも
昼と夜の区別がつかず
道に迷い
感覚を失おうともデスペラード 正気に戻ったらどうだい
塀から降りて来るんだ
明け方には雨が降るかもしれない
けれど頭上には虹がかかるさ
誰かに愛されるんだ
誰かに愛してもらうんだ
手遅れになる前に
私は孤独が一番恐い
2008年2月15日
40年来の友達に感謝の気持ちを込めて
2月の誕生日につくように初めて花を送った
彼女も60歳 私と同じ還暦になるはずである
よく働き よく学び 元気な事は誰よりも勝っている
いつもいつも元気をまわりに振りまいている
そして何より楽観的なものの考え方が私を助けてくれている
明るい事と 前向きな考え方は 生まれつきなのかもしれない
女性にしては比重の重い血液が 肉体的にも元気にしているのかもしれない と
いつも私が思うのは 学生時代のこんな忘れられない出来事のせいだ
私達が20歳になる記念に 献血をしようという話になり
渋谷の街でグループ4人 献血車に乗り込んだ
検査の段階で 私は血の比重が軽くて 白衣の係りの人が
ビーカーの中を首をかたむけてのぞきながら「まーいいでしょう」と
やっと血を採取してくれて 私も皆と同じ仲間になれてほっとした記憶がある
それぞれ献血し終えて 出してくれたクッキーを食べながら「どうだった?」私が聞くと
彼女の血液は重たくて 係りの人に
「男性並みの濃い血ですって言われたけど・・」とニコニコしていた
あれから40年 あの時と変わらない付き合いが続いている
何時会っても陽気で楽天的 自分もそして世の中も 一生懸命やっていれば
すべていい方にうまくいく─ と考える“超楽観主義者”
お互いに結婚して 忙しいときは少し疎遠になっても 1年会っていなくても何も変わらない
この前の続きが始まるだけ 学生の気持ちのまま
ありがとう ありがとう と思うけど
言葉にでるのは 「本当にばかだねー ミキちゃんはー」
いつものようにコーヒーを飲みながら 笑い転げる
2008年2月2日
久しぶりの我が家でコーーヒーをたてて
ゆっくり味わう 久しぶりの幸せ感 私は生きている
昨日までの重い心を思い返している
長い間寝たきりで 闘病生活にも苦しんだ 私の母も昨年亡くなり
又 今週は思いもしない
元気だった母の妹 つまり大好きな叔母が
すい臓がんとわかったとたん さっさと亡くなってしまった
人の命は本当にはかないもの
生きる事 死ぬ事を 身近に感じさせられた
その叔母の葬式の席で お上人さまがお話をされた
「仏教ではよく「娑婆」といいますが
インド仏教の言葉でこの世のことを「サハー」といったのが
中国に伝わった時に
その音から「娑婆」という文字が当てられたようです
この世である「サハー」は 苦しい 苦労する世界の事
を意味するそうです」
成る程!そうなのか
人が死ぬという事は
この世での苦しい修行である 苦労の世界を終えて
楽になるという事だと いうことらしいのです
そんな風なお話をされて
ほんの少し 私の心が軽くなり
そうなのね
生きるときに宗教があると
違う角度から ものがわかったりして
生きる助けになるのかもしれない・・
とても不信心な私だけれど
今からでもまにあうかもしれない
コーヒーの香りにも助けられて
今朝はちょっと幸せな気持ちになりました